ノーリターン

土曜日はサークルの先輩の結婚式でした。
場所は都内某女子校のチャペル。
カトリック系の高校に通っていた頃には日常的に通っていたチャペルも、足を踏み入れたのは実に数年ぶり。
その頃は「チャペル」なんてしゃれた名前で呼ばずに「聖堂」って呼んでました。
ひんやりした石造りの温度を感じて、懐かしさがこみ上げてきました。


式中は後ろのほうにいたから指輪の交換も接吻してるとこも見えませんでした。
まぁ見なくて済んだといったほうが妥当か、うっぷす。
厳粛な雰囲気、お幸せにムード、そっか、これが結婚式ってやつなんですね。
人前でこんな好奇の目にさらされるなんてまっぴらだと背筋がぞっとしました。


僕は披露宴と2次会にお呼ばれしなかった組で、3次会が開始する9時半まで、式が終わった後、2時からひたすら飲み、歌い続けました。
んでまぁその後の3次会で、誰と話したのか忘れたんですが、
結婚式の費用って200万から300万くらいかかるものらしいんですよ。
そしてそれは親が出して当然のもんだと、そういう話があったんです。


200万とか300万ていうお金のスケールってよくわかりません。
でも親からお金もらって豪勢な披露宴やろうなんてトチ狂った話はありなんですか?
“当然拠出できない”→“親にもらう”
みたいな準公式は、僕大嫌いなんです。


僕はスキーサークルに所属しています。
とてもお金がかかります。
多分年間30万円くらいは使ってきました。
僕もみんなもアルバイトをしながら一生懸命お金をためて参加しています。


でも中にはアルバイトなんてしたことないよって人もいます。
合宿のたびに親からお金をもらって参加しているそうです。
スキーに行く時間はあるのにアルバイトをする時間がないわけありません。
そこんとこ、理解できないのです。


自分は何もがんばってないけど、ほかの人が汗にまみれて作ったお金を使って楽しむだなんて言語道断です。
お金を借りる、ってのならぜんぜん構いません。
でも一方的にもらっちゃうだなんて、心が咎めたりしないんでしょうか?


300万円の結婚式だってそうです。
一人前の大人同士が結婚するんですから、きまった収入もあるわけです。
支出可能な範疇で、さもなくばローンでも組んで、自己責任でやるのがスジってもんです。
2人の船出が親の資金なんてどう考えてもおかしいです。


「無償の愛」という言葉があります。
自分の利益を省みることなく相手に与えること、それはすばらしいことだと思います。
親が子供の幸せのためにお金を注ぐ、当然のことと言っていいでしょう。
けれど親からの「無償の愛」をそんなに簡単にもらっていいんでしょうか?


無償の愛をためらいなく受け入れる人=無償の愛をためらいなくあげられる人
無償の愛を受けることをためらう人=無償の愛を与えることをためらう人
だなんて僕は思いません。
無償の愛をためらいなく受け入れる人というのは、相手の払った犠牲を意に介していないに過ぎません。


相手の苦労を慮れば、自分が努力せずにお金をもらうことに抵抗を抱かざるを得ません。
その感覚が麻痺している人には、今一度考えてほしいと思います。
僕は愚痴っぽい大人になりそうだと、書きながらしみじみ思いました。